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デバイダー

 四六版という少し大きな紙に正確な直角を描こうとして、手元にろくな三角定規の無いことに気づいた。三角定規どころか、T定規もない。きれいに芯を尖らせた鉛筆までもさて何処に?グラフィックデザインの仕事に必須だった道具がどんどん使われなくなっている。デバイダーもそのひとつ。
 三角定規にもずいぶんとお世話になったが、これは消耗品でもあるので、その折々で使いやすいものを選ぶ。いちばん注意するのは直角がちゃんと出ていること。この当たり前のことがけっこう難しいもので、狂った“直角”三角定規も多かった。“アタリ”の三角定規に出会うと嬉しかったが、日々使ううちに少しづつ狂いはじめ、とくにカッターの刃を当てはじめると、もう寿命も直に終わる。

 いっぽうのデバイダー。これもグラフィックデザイナーの道具箱には無くてはならないもの。板前にとっての包丁のようなものと思う。名の通り「ある線分」を分割したり、同じサイズを他の場所へ移したり、他にも使い道は数多くあるが、とにかく手に馴染むデバイダーはデザイナーにとっては必須の道具だった。

 写真のデバイダーは、1970年、銀座の伊東屋で買ったもの。初任給30,000円の頃に、たしか2,000円近くしたものである。メーカーは“Kern”、メイドイン・スイスである。以来、他のものはよく無くすのに、このデバイダーだけは不思議と残った。残っただけでない、ワタシのデザイナーとしての仕事のほとんどは、このデバイダーが覚えているのである。

 当時、国産の普通のデバイダーは、数百円で買えたと思う。それでもある程度は使えたのに、なぜ、こんな高級品を買ったのか?

 デバイダーである距離を測るときは、お箸をそっと持つような感覚でその両足を広げたり狭めたりする。慣れてくると指先の感覚で、拡げた幅が10ミリなのか12ミリなのか、そのくらいの見当はつくようになる。それはともかく、たとえば10ミリ巾の線分にデバイダーを当てたとする、そのときにピタッと10ミリのところで止まらないと、ヒジョーにイライラする、それが高じると正確なレイアウトも出来なくなる。ようするにデザインがグズグズになってしまう。

 安いものは、そのピタッと止まる感覚に甘いものが多かった、目指すポイントにだいたいは近づくのに最後の決めがムニュッと動いてしまい、そのたびに再度広げたり狭めたり、これは何とも気持ちの悪いものである。そのうえ、開閉に必要以上の力が要ると手先も疲れてしまう。
 この“Kern”のデバイダーは、そのあたりの動きが実にスムースで、止めたいところでぴたりと止まる。しかも、無用なチカラも要求されない。要は、両足の開閉の仕組みの上手さと、工作精度の高さがあってこその性能と思うが、よくできた製品である。
 とにかく2,000円で36年間、いや日常的に使っていたのは Mac 出現までだから実質は25年ほど。とすると、一年あたり80円!いいものは結局はトクなのだ。

 かつて、器用にデバイダーを操るグラフィックデザイナーは、それだけで仕事が出来るように見えたものである。で、久しぶりにデバイダーを手にとってみると、もう昔のようにはスムースに動かない。デバイダーそのものは、ろくな手入れもしていないが、その動きに問題はない。これは、手と指がマウスとキーボードに慣れすぎてしまったツケである。

 いや、パソコンに慣れてしまったのは手と指先だけでは無い?か